『0円の水無』告知 6月1日(日)22時頃~ 2025/05/30 18:55 Facebookでシェア URLをコピー 報告 『0円の水無』告知 6月1日(日)22時頃~水無月、六月の名は、夏の初めにそよぐ薄絹の詩。その語源は、田んぼに映る月の光が水面に織りなす銀の糸のように、古代の心を繊細に綴る。「無」は「の」と響き合い、「水の月」と詠む説が清らか。田植えの季節、稲の若芽に寄り添う水は、まるで大地の胸に流れる命の吐息。水神への祈りは、夜露に濡れた菖蒲の花びらに宿る願いのように、水無月に静かに結ばれる。京都の夏越の祓で供される「水無月」の和菓子は、涼を紡ぐ一編の詩。三角の白い外郎に小豆が寄り添う姿は、まるで清流に浮かぶ初夏の氷華。穢れを払い、心に涼風を招く甘やかな調べは、平安の雅を今に運ぶ。ひと口噛めば、歴史の余韻が舌先にそっと咲く。対して、「水が無い月」と詠む説は、梅雨の潤いに隠れた切ない調べ。田植え後の水田は、恋人の遠ざかる足音を待つように水を渇望し、その儚さが名に織り込まれる。また、「皆尽月(みなつき)」が転じた説は、田植えに汗と笑みを重ねる人々の鼓動を、朝露に揺れる野の花のように描く。陰暦の六月、蒸し暑さはまるで涸れた川床に響く微かな溜息。そこに古人の憂いが、薄暮の水面に揺れる影のように宿る。水無月は、月名を超え、田んぼを渡る風の囁き、水神への祈りの鈴の音、和菓子の清涼な甘みを束ねた絹の詩篇。六月の黄昏、稲の緑が夕陽にそよぐ時、水無月の名をそっと口ずさむ。そこには、祖先の息づかいと夏の訪れを愛でる心が、水面に広がる一筋の波紋のように響き合う。次に水無月の和菓子を手にしたら、その一片に宿る悠久の調べに心を浸そう。清らかな甘さは、時を超え、魂に涼やかな詩をそっと紡ぐ。